「チャンスはピンチの顔をしてやってくる」を再考する。
この言葉は、ずっと好きな言葉です。「降りかかる災難や失敗を逆に利用して、自身の利益や幸せに変えること」という意味です。同じような意味を表すことわざに、「人生万事塞翁が馬」や「災いを転じて福となす」などがあります。人生において、様々な試練を経験している人はたくさんいますし、そういう人を勇気づけるものであることに違いありません。もちろん勇気づけるだけではなく、真理でもあると、私は思っています。このところ、それを実感するのです。ピンチのあと、誰にでもチャンスがくるわけではないのですが、チャンスをつかめる人はいるのです。
さて、いろいろな解釈がこの言葉にはあると思います。以前は、ピンチをチャンスに変えることが大切なんだ、ピンチのなかに成功の芽を見いだすことが大事なのだと思っていました。ですので、たとえば「ものは考えよう」とピンチ、すなわち逆境自体を認めようとしていたような気がするのです。たしかにほんとうにピンチのなかにチャンスの要素を見つけだして、成功した人もたくさんいることでしょう。それはそれでいいことですね。ただ、ピンチからチャンスへの変化にはいろいろな形があると思うのです。最近、以前と違った捉え方をしている自分に気がつきました。
ピンチを乗り越え、プラスに転じつつあるときに思ったことがあります。状況はずっと好転しました。けれどもそのとき、当初ピンチのもとになった出来事、それ自体は一つも変わっていないことに気づきました。たとえば大失恋から立ち直った人がいたとします。前の恋人が戻ってきた場合を別にすれば、こころの傷自体は残っているのではないでしょうか。それと同じことです。それでも立ち直り元気になったのです、自分のちからで。ただし、何かを失った喪失感、こころの痛手はそのひとの心の中に、ずっとなにかしらのかたちで残るものだと思います。そして、これはその人の人生に厚みをもたらすことでしょう。
ある脳科学の研究者に言われたことがあります、強く負った心の傷は、「時間が解決することはない」と。この通りだと思います。その傷を治す力は、自分自身の力にしかありません。ピンチをチャンスに変わるのでなく、別のチャンスを自分で作り出すのです。ある時は、歯を食いしばり、ある時は涙を流しながらも、毎日の一歩を大事に生きることです。そうすることで活路が見いだせるのです。私はそう思います。
今、ピンチだと思う人、それは神様がくれた試練だと思います。試練というよりも、今よりも幸せになるためのチャンスをもらったと言ってよいでしょう。ただチャンスをもらっただけです。ほんとうに幸せになれるかどうかは、自分次第です。私は、ピンチの他人に「気の持ちよう」ですとか、「大変ですね」とは、決して言いません。苦しんでいる人間にはとても辛く、無神経な声かけに思えるからです。少なくとも私は言われたくありませんし、そういう人間は信用しません。ただ、一言、いつかは笑える日が来るとの願いを込めて、「大丈夫」と言うだけです。
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